新年のご挨拶 令和三年
檀家さま、有縁の皆さま
あけまして、おめでとうございます!
本年もまた宜しくお願いいたします!
昨年は本サイトの記事でも、檀家さまとのお話でも、とにかく「コロナ」という単語をたくさん使いました。
おそらく今年もその状況は変わらないと思いますが、できれば「コロナも収まってきて・・・」「コロナは怖かったね・・・」というニュアンスで使えることを願うばかりです。
学習性無力感という現象があります。
どうあがいても逃れられない苦しみにとらわれるあまり、そこから逃れようとする努力すら行われなくなる恐ろしい症状です。
職場や家庭などで孤立無援の状況や、強い人格否定が行われると「どうでもいいや」という気持ちになり、将来に向けて頑張ろうという気力が失われてくるそうです。
現在「コロナいじめ」「コロナ差別」が社会問題となっています。
どの様な状況でコロナに感染したかはわかりません。
なかには非難されるような行動によって感染した人もいるでしょう。
自業自得として片づけ「あいつの行いが悪い」「あいつに近づくな」と言うと、自分が善の側にいるような気がして、ひと時でもコロナの恐怖から逃れられるかもしれません。
ですが非難する人も「大上段に構えて人の人格を否定できるぐらいの完全な存在」ではないでしょうし、仮に完璧な人だとしたらきっと人格否定やコロナ差別など馬鹿馬鹿しくてしないでしょう。
檀家さまから聞いた話では、あるコロナ感染者の出たお家は投石の被害に遭ったうえ、職場も退職し、引っ越しせざるを得なくなったそうです。
噂であることを願うばかりですが、そのお家の人は「何を話しても理解してもらえない」「コロナに罹った苦しみを分かってもらえない」という無力感・絶望感の中にいたのではないでしょうか。
世界は不完全な人間が営む不完全な社会です。
多くの人がそのことを理解すれば、つまらない差別は減っていくのではないでしょうか。
「自分は他人より、あいつより優れている」「自分のほうが正しい」という矮小な思考が、いびつな世界の理由の一つになっていると思うのです。
阿弥陀如来さまは「身にもしてはならぬことを行い、口にも言ってはならぬことを言い、心にも思ってはならぬことを思う」不完全な“悪人”をこそ救いの対象とされています。
しかし親鸞聖人はそれを受けて「いかにも心のままにまかせて良いのだ、と言っている人がいるがまことに至らぬ考え方である。酔いがさめてないのにさらに酒をすすめ、毒も消えてないのにさらに毒をすすめるようなものである。どんなに良い薬があるからといって、毒を好んで飲めというようなことは、あってはならない」と、阿弥陀さまが必ず救ってくださるからといって、自ら悪を行うことがあってはならないと戒められています。
この世界は“人間の力”によって、良い方向にも悪い方向にも向かうということを自覚することが第一歩なのではないでしょうか。