お知らせ

藤波大阿闍梨講演会が勤まりました!

心地よい日差しと爽やかな風の吹くまさに秋日和のなか、藤波源信大阿闍梨仏教講演会が勤まりました!

今年で落慶40周年を迎える本堂も満座となりました。

講演会

前回の時は千日回峰行の実体験を主に語っていただき、今回も初めての方に向けて同様のお話しをいただいたのですが、今日はさらに比叡山に住む日々の生活のお話しもいただきました。

式次第

都市の生活から離れ、自然と一体化するような暮らしは、私には最初「しんどそうやなぁ」と感じられました。
湧水を利用する水道は時どき水源地の清掃を必要とし、夜は狐狸が隣人であることを感じるご様子などがです。
けれども大阿闍梨が
「災害でライフラインが止まっても、湧水があり、お寺なのでロウソクの明かりもある。枯れ木で火も焚ける。」
「街灯りが無いので月は美しく、隣家が無いため焚火もはばかられず、炎や煙も心地よい。」
と、おっしゃるのを聞き、最初とは異なり羨ましいと感じる自分がいました。

大阿闍梨1

大阿闍梨2

 

大阿闍梨は千日回峰行中の最難関である「堂入り」では断食・断水・不眠・不臥(横たわらない)のため、極度の栄養不足により頭がボンヤリとし、思考がまとまらず、苦しささえも感じにくくなり、「このままいけば、穏やかな死を迎えられるんだろう。」と思われたそうです。

自分の生活を振り返りますと、我が肉体の富栄養化はすすみ、便利な暮らしは余分な時間を与えてくれています。
その時間を有効に使えばよいものの、些細なことで余計な不平不満を感じ、過去を懐かしみ、人をうらやみ、穏やかな心など待たない無駄な日々を過ごしている自分がいます。

阿弥陀如来は我欲・煩悩をもった私でも「必ず救う、我に任せよ」とおっしゃられますが、生きている間の余計な苦しみはきっと自分の力で解消していく必要があると思います。
親鸞聖人は
「煩悩に満ちた身であるからといって[欲望と衝動]にまかせて、身にもしてはならぬことを行ない、口にもいってはならぬことをいい、心にも思ってはならぬことを思いながら、いかにもこころのままにまかせていてよいのだ、といっている人があるが、まことにいたらぬ考え方である。-中略- どんなによい薬があるからといって毒を好んで飲めというようなことは、あってはならない。」
とおっしゃられます。
みずから苦しみを生む生活をあらため、安穏の生活をおくる智慧を、今日の大阿闍梨のお話しの中に見つけたような気がしました。