あおり運転
今年の6月からいわゆる「あおり運転」が厳罰化され、懲役や罰金それに免許取り消しなどの罰則が科されるようになりました。
私たちも車でお参りをしていますので、あおり運転に無縁というわけにはいきません。
ときどきクラクションを鳴らされたりパッシングをされたりすることもあります。
こちらに原因があるかもしれませんし、僧侶の衣も着ていますので怒りの感情をあらわにするわけにもいかず、「急病人が居るのかも知れない」「トイレに行きたくて仕方がないのかも知れない」と思うことで何とか感情を抑えることもあります。
若いころは私も恥ずかしながら「あおり運転」をしたこともありますが、よくよく考えますと「乱暴な運転をしてきて自分が危ない目に遭いかけたじゃないか」「急いでいるのにゆっくり走られて困る」という理由で怒っていました。
自分の安全や生命が脅かされたり、自分の用事がスムーズにいかないから怒っているわけです。
つまり「自分が」という理由で「他者」に怒るわけです。
むかし、お釈迦さまがご存命の時、コーサラ国にハシノクという王様が居ました。
王はお妃に「そなたにとって一番愛おしいものは何か?」と尋ねますとお妃は「自分です」と答えました。
逆にお妃も王様にたいして同じ質問をしますと、彼もやはり「自分である」と答えました。
二人はこの答えが正しいのか疑問に思い、お釈迦さまに問いますと「その通りで間違いない」とお答えになられ、「誰でも自分が一番いとおしい。他の人も自分を一番大切に思っている。だからこそ自分を愛しむあまり、他者に害を及ぼしてはならない」と続けられました。
自分の幸福を邪魔するものを排除しようとすると、争いが起こります。
あおり運転の原因もここに有るのではないでしょうか。
ある日、私がお参りを終え法務員の市場さんに「今日はあおり運転をされてメッチャ腹が立ってん!」と言いますと、彼は「あおられて怒るのは、住職も自分の事しか見ていないからじゃないですか?」と指摘してくれました。
ああ・・・まさしくその通りです_| ̄|○
あおってくる相手を擁護する気も、慮る気も全くありませんが、あおられても冷静に思考し対処できる心を持とうと思います。