浄土真宗本願寺派 仏光山如来寺

浄土真宗本願寺派 仏光山如来寺

教え

念仏

南無阿弥陀仏

勝如上人御真筆(如来寺所蔵)

南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ・なまんだぶ)

「南無」は、心から信じて敬(うやま)う、という意味です。
そこで「南無阿弥陀仏」を称(とな)えることは、「私は阿弥陀仏を心から信じて敬います」と申し述べることになります。
阿弥陀仏は、この「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」によって衆生を必ずわが浄土へ往生させる、と四十八誓願のうち第十八願でお約束をくださいました。
〝わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません〟 『仏説無量寿経』上巻
そして親鸞聖人の師である法然(ほうねん)上人(1133年〜1212年)は、この第十八願こそ四十八願の根本であり、阿弥陀仏の「本願」である、と見極められました。
〝ただ称名念仏一行をもってその本願となしたまへり〟 『選択本願念仏集』
法然上人

法然上人

ここに「称名念仏」のみが衆生(しゅじょう/一般の人々・凡夫)を往生浄土へ導くただひとつの行(ぎょう)と、明らかにされたのです。

 

さらにそこから、親鸞聖人は洞察を深めていかれました。
中国浄土教の開祖とされる曇鸞(どんらん)大師(476年〜542年)は、その阿弥陀仏による「本願」のはたらきを「他力(たりき)」という言葉であらわされましたが、親鸞聖人はその「他力」から、ついには「他力回向」「本願力回向」の真理に到達されます。

 

「他力」とは「本願力」であり、阿弥陀仏がその慈悲と智慧によって、必ず他のものを往生成仏させるという「本願」のはたらきのことです。そして「回向(えこう)」とは、自らの善行をあまねく皆へと回し差し向ける、という意味です。
つまり「他力(本願力)回向」とは、阿弥陀仏から「本願」のはたらきを衆生は必ず与えられ、往生成仏が約束されているということです。

 

親鸞聖人

親鸞聖人
本願寺Webサイト

そのため、人が念仏を称えることさえ、それはもはや人の意思によってではなく、阿弥陀仏「本願」のはたらきによって念仏させていただけている、ということに他なりません。
〝本願他力の念仏においては、自力のはからいがまじらないことを根本の法義とします。なぜなら、念仏ははからいを超えており、たたえ尽くすことも、説き尽くすことも、心で思いはかることもできないからです〟 『歎異抄』
わたしたちは自ら往生をとげようとして「南無阿弥陀仏」とお念仏を申す必要はありません。
必ず救ってくださる阿弥陀さまに「ありがとうございます」と感謝の心を込め、お念仏をさせていただくのが浄土真宗のみ教えです。

 

▼補足:『南無』は「なむ」?「なも」?

本尊と宗祖

阿弥陀如来像

阿弥陀如来像(川西別院)

本尊─阿弥陀如来

浄土真宗の教えにおいて、人の命が尽きるとともに往生する西方極楽浄土の仏。
その往生を自らの「本願」によって人々へと約束し、「南無阿弥陀仏」の一念によって平等に成しとげてくださいます。
阿弥陀如来は無央数劫(むおうしゅこう)という数えることのできないはるか遠くの昔、とある国王の身分を捨てて出家され、法蔵と名のり諸仏の浄土を見てまわられました。
それから五劫という長い時をかけて思いを巡らせ、四十八願をおこし修行に励まれました。その第十八願が「本願」となります。

 

そしてさらに兆載永劫(ちょうさいようごう)という長い長い時をかけ成仏をとげられると、今から十劫という大昔にようやく西方浄土を建立されたのです。

 

阿弥陀如来は、わたしたち衆生では決してとげられない修行を担ってくださり、その「他力(本願力)回向」のはたらきで一人残らず往生させ成仏させてくださいます。これを親鸞聖人は往生即成仏と説かれました。
浄土真宗はこの阿弥陀如来のみを信仰の対象とします。
宗祖─親鸞聖人

親鸞聖人像(如来寺所蔵)

宗祖─親鸞聖人

親鸞聖人(1173年〜1263年)は9歳に出家され、比叡山で20年修行されますが悟りの道を見出せず、29歳で聖徳太子ゆかりの六角堂(ろっかくどう)に参籠(さんろう)されます。すると救世観音(くせかんのん)の夢告(むこく)を得られ、すぐさま専修(せんじゅ)念仏を説かれる法然上人を訪ねて弟子となられました。

 

入門から5年、親鸞聖人は研鑽を重ねられますが、専修念仏禁止令によって僧籍を奪われ、越後へ流罪(るざい)となります。
これより親鸞聖人は愚禿親鸞(ぐとくしんらん)と名のられ、非僧非俗(ひそうひぞく)の立場に立たれました。
恵信尼

恵信尼

また、恵信尼(えしんに)さまとご結婚され在俗のまま念仏の生活を営まれます。5年後、赦免となりますが、その後すぐ法然上人が亡くなられたため、そのまま関東で本願念仏を伝えられます。

 

法然上人十三回忌の年、親鸞聖人は『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を起草され、63歳のころ関東の教化を終えられて京都に帰られました。それから往生される90歳まで『教行信証』の推敲を重ね、『和讃』など多くの書物を著されるなど「本願」のこころを伝えられました。

浄 土 真 宗じょうどしんしゅう教章きょうしょう
わたし あゆみち

宗 名しゅうめい 浄土真宗じょうどしんしゅう
宗 祖しゅうそ
(ご開山かいさん
親鸞聖人しんらんしょうにん

誕生たんじょう 1,173年5月21日(承安じょうあん 3年4月1日)
往生おうじょう 1,263年1月16日(弘長こうちょう 2年11月28日)

宗 派しゅうは 浄土真宗じょうどしんしゅう 本 願 寺 派ほんがんじは
本 山ほんざん 龍谷山りゅうこくざん本 願 寺ほんがんじ西本願寺にしほんがんじ
本 尊ほんぞん 阿 弥 陀 如 来あみだにょらい南 無 阿 弥 陀 仏なもあみだぶつ
聖 典せいてん
  • 釈 迦 如 来しゃかにょらい かれた「浄土三部経じょうどさんぶきょう
    • 仏説ぶっせつ 無量寿経むりょうじゅきょう
    • 仏説ぶっせつ 観無量寿経かんむりょうじゅきょう
    • 仏 説ぶっせつ 阿 弥 陀 経あみだきょう
  • 宗祖しゅうそ親鸞聖人しんらんしょうにん著述ちょじゅつされたおも聖教しょうぎょう
    • 正信念仏偈しょうしんねんぶつげ』(『教 行 信 証』きょうぎょうしんしょう行巻末ぎょうかんまつ偈 文げもん
    • 浄 土 和 讃じょうどわさん』『高 僧 和 讃こうそうわさん』『正像末和讃しょうぞうまつわさん
  • 中興ちゅうこう蓮如上人れんにょしょうにんの お手 紙てがみ
    • 御文章ごぶんしょう
教 義きょうぎ 阿 弥 陀 如 来あみだにょらい本願力ほんがんりきによって信心しんじんをめぐまれ、念仏ねんぶつもう人生じんせいあゆみ、この えんきるとき浄土じょうど まれて ぶつ となり、まよ いの かえって人々ひとびと教化きょうけする。
生 活せいかつ 親鸞聖人しんらんしょうにんおしえにみちびかれて、阿 弥 陀 如 来あみだにょらい こころ き、念仏ねんぶつとなえつつ、つねにわが をふりかえり、慚 愧ざんぎ歓 喜かんぎ のうちに、現世祈祷げんぜきとう などにたよることなく、御恩報謝ごおんほうしゃ生活せいかつおくる。
宗 門しゅうもん この宗門しゅうもんは、親鸞聖人しんらんしょうにんおしえをあおぎ、念仏ねんぶつもう人々ひとびとつど同朋教団どうぼうきょうだんであり、人々ひとびと阿 弥 陀 如 来あみだにょらい智 慧ちえ慈 悲じひつたえる教団きょうだんである。それによって、自他じた ともに 心豊こころゆた かに きることのできる社会しゃかい実現じつげん貢献こうけんする。

▲補足 『南無』は「なむ」?「なも」?

『南無』とは一般に、漢字の音読みで「なむ」と発音します。
しかし浄土真宗本願寺派では、これを「なも」と発音します。それは、親鸞聖人ご自筆の著作にて『南無』の読み仮名に「なも」と記入されているからです。
そしてこれはおそらく、「なも」という発音が、仏教発祥の地インドでの発音に近いからだと考えられます。

 

『南無』の原語はサンスクリット語で『ナマス(namas)[帰命・帰依・敬意]』、その後に続く『阿弥陀』は「アミターバ(amitābha)[無量光・量り知れない光]」と「アミターユス(amitāyus)[無量寿・量り知れない命]」の『アミター(amitā)』となり、『仏』は『ブッダ(buddha)』です。
ところが、この『ナマス(namas)』は、後ろに(a)から始まる語が接続されると『ナモ(namo)』と変化するため、『南無阿弥陀仏』は原語でこのようになります。

 

ナモ(namo)アミター(amitā)ブッダ(buddha)』

 

このように親鸞聖人は、すこしでも原語に近い発音でお念仏をお称えできるようおはからいになっていたと思われるのです。
そのためわたしたち浄土真宗本願寺派の僧侶は、そのような宗祖の遺志を今に継いで、『南無』を「なも」と発音させていただきます。
もちろん在家の皆さまは、「なむ」でも「なも」でも、ご自身にしっくりくる読み方でご自由にお念仏ください。

 

 

※これは2つの語が連接するときに生じる音変化のひとつで連声(れんじょう)といいます。
(namas)+(amitā)で(namaḥ)[(ḥ)は気音(きおん)といって単独での発音ではありません ]となり、この(namaḥ)に(a)から始まる語が接続されると(aḥ)が消えて(o)となるため『ナモ(namo)』と変化します。